あかん、どうしてもブログ挫折してまう。

どうも、コインマフィアでござんます。

ブログを書くというのは、非常に簡単でございます。

というか、だれでもできるでしょ。てきとうに頭のなかにふわついた文句を書き散らし、ひととおり書きわめいたらいい分量のブログが出来上がってるわけです。だれだってできる。

そんな感じでてきとうに書いてお金がもらえるなんて、なんて素晴らしいビジネスなんでしょうか、ブログアフィリエイトは。そりゃこぞってブログ書こうと言い出すわけですわ。コロナ前の2018年、2019年なんてネット副業界では口を開けば今日は何記事書いただの、毎日更新だのバカの一つ覚えみたいにツイートしてる人いっぱいいました。

それがどうですか、もう生き残ってる人いないでしょ。みんな死んだ。ブログという夢から覚めて、みんな現実やってるわけです。

ブログなんて夢みたいなものだったんです。今やどんな検索ワードをかけてもまともに表示されるのは企業のサイトだけ。たまに検索1位とれても、それ誰が検索するねん、というワードだけ。ヘルスとライフから個人ブログは完全淘汰され、かんぜんに「ブログで独立」の夢を砕かれてしまったわけですね。

そもそも、ほとんどの人にとってブログはつらいものです。完全に日記のように好きなものを好きなように語るのであれば、なんらストレスはないでしょう。だから、自分でもやれるなんて勘違いをしてしまう。でも、そこに「収益」という視点を一つ足したらあら不思議。人に検索される、人に読まれる、そのアフィリンクを人がクリックする、紹介した商品を制約させる、など考えると、必然、自分の本来の書き方ではなく、読者を離脱させない書き方、文章構成、どこまでいっても「他人が読んで」おもしろいブログを書かなければいけなくなる。

自分のためのブログが、いつしか他人のためのブログとなる。他人のためのブログだというに、ビューはほとんどない。精一杯記事を書いても反応がない。いないものに向かって、収益のために永遠と語り続けていれば、それはまともな精神を持っている人間ならおかしくなってしまうし、もしなんとも思わないならすでにおかしくなっているでしょう。ブログで稼ぐとは精神崩壊スキームだったのですね。

そして、たまにそのおかしくなっている人が結果を残すんですね。常人であれば稼げない、つまらない、作業量がつらいの三重苦でとっくにやめているところを、1000時間くらい投下してやった10円稼いだ!!とこころのそこから喜べる怪物がそこから先の世界を見ることができたんです。

そうして、なにもしらない娑婆の人間たちがブログを書くだけで稼げる!!という言葉に騙されて地獄への門をたたき続けるのでした。だれでも稼げる天国を夢見て。

実際は地獄を地獄と思わない化け物だけが大成していく狂気の世界でしたが。

かくいう私も、そう、ブログで食って生きてぇ、満員電車に乗られてゾンビのようにはいきたくねぇ、という風に息巻いてブログを開設してました。

多分、4つくらいサイトを作ったかな。で、どれも10記事書かずに敗北。

最初の2,3記事は希望に満ちた目で記事を書いてたはずなんですよ。

でも、いつも現実を突きつけられる。というか、気づいてしまうんですね。

「あ、たぶんこれ、だれにも読まれねぇな」

自分のなかの熱量を文章にぶつけて、いざ自分で見返した時の痛さ。中身のないポエムじみた謎文章の羅列としか表現しようのないかなしき無形文化財。

そして、今度は読まれるべく、読者に配慮した文章を書こうとしてしまう。

いつの間にか文章を打つ手がとまってしまい、ひとつひとつの表現が読まれるに値しないものに思え、決まって10記事を投稿したあたりでブログを書けなくなってしまう。

そうやって、挫折し続けていました。

何か月か経って、今ならやれるのでは?と思ってしまう。やっぱり私も人間、喉元過ぎれば熱さも忘れてしまうのです。

でも、結末は同じ。いつの間にか、ブログのことも忘れてしまう。

それで、みてください、みなさま。。

こやつ、性懲りもなくまた記事を書き始めましたよ。

今までの中で一番時間もないというのに、だれに読まれるというわけでもないのに、もうブログで稼ぐことなどムリゲーと化しているというのに、あんなに挫折してきたのに。

それでも私はまた記事を書いてしまう。

何かを表現せずにはいられないとばかりに記事を書いてしまっている。だって、数か月前までブログのことなんて一度も考えてなかったというのに。とんだ嘘つきです。

ブログをもう書かない、と決めたのに。自分はブログを書けないと認めることは、あんなに大変だったのに。

結局、決意とはおしなべて軽いものなのです。お風呂のお湯と同じで、すぐに冷めてしまうものなのです。

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