やはり、わたしはブログをするしかないのだという諦め、あるいは決意表明

自分の人生をひとことで表すとしたら、などという下賤な問いかけがなされたとしたら、わたしはこう答えるだろう。「徒労」である。

結局、人生の意味は見いだせなかった。なにかこれならば人生のすべてを捧げたいというものにはついぞ出会わなかったし、俗物のように安定した人生というものにもちゃんちゃら興味はなかった。自分になにもないことに気づいてしまうことを許せないあまり、他人に自分の存在価値をまかせてしまおうとしたこともあったが、なんせ私は人嫌い。大事に思える人間であるほど、しょせん他人は他人であり、自分のための存在ではないことを飲み込まざるを得ず、そんな無責任な試みは失敗し、代わりに半年間の鬱を私の人生に残していった。回復したら、どうしようもない空白を埋めるために、努力だけして、頑張っているじぶんというIdentityのみをそれに突っ込んだ。それは目的の特にない、空虚な努力であり、そのような努力ほど無駄なものはない。結局、努力の途中で自分の人生が狭められていく感覚に耐えられなくなり、放棄し、その分の時間と投げ出したという結果だけが残る、そんな徒労をずっと続けている。

人生は配られたカードで戦うゲームであるのなら、私はそのカードをうまく認識できず、うまくやろううまくやろうとするだけ空回りし、挙げ句カードのデメリットばかりを引き当て、どんどん状況を悪くしてしまったというところだろう。いや、そもそも、勝とうとしていない時点で、終わっていたのか。

ともかく。さあさ、いよいよ自分の空白にまともに目を向けなければならない。しかし、そんなことは人間に耐えられる所業ではないのだ。それはわたしも例外ではない。だから、自分に残っているはずのわずかななにかを、誰かの承認を通して実感したい。しかし、すでにそのための社会的な方法論はわたしと決別してしまった。

だから、ブログをしようと思う。このブログは仮想通貨はじめ投資関係の情報を発信し、あわよくば金銭を得ようという動機で始まったものだが、それらは放棄し、わたしの残りの人生で考えたことや触れる知識、あいまいな空想などを乗せ、誰かに見つけてもらいたいという希望を託し、つらつらと書いていきたい。

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