田角陸に嫉妬している。

田角陸。

ANYCOLOR株式会社の創業者にして、CEO。

現在までのVTuberシーンを席巻し続けてきた、VTuberグループ「にじさんじ」の生みの親。

おそらく、日本でもっとも成功した令和を代表する起業家の一人といえるだろう。

当時、日本では学生起業、スタートアップ支援というのが一つの時代のトレンドであり、それは学生起業家と、エンジェル投資家といわれるキャピタル集団によって作り上げられた社会現象だった。

たくさんの学生起業家が投資家の支援を受け、さまざまな挑戦的ビジネスに挑戦したが、そのほとんどはすでに撤退ないしは企業売却をしており、その名残を現在のビジネスシーンに見出すのは容易ではない。

その中で、一気に新しいエンタメとしてのポジションを確立し、フジテレビをも超える時価総額をたたき出し、上場してからも破竹の勢いで成績を伸ばし続ける会社のCEO、それが田角陸である。

そして、わたしはこの田角陸に対し、一種の嫉妬めいた感情を抱いている。

なぜか。それは、自分は、にじさんじの登場前からVTuberというものが一過性の現象ではなく、将来にわたり拡大していく新しい分野になると確信していながら、さらに当時学生起業を考えていながら、結局にしてVTuber業界に参入も何もせず、起業することもなく、なあなあな人生を歩んでしまったからである。

わたしには、どうにも彼が特異な存在であり、雲の上のような偉人には思えない。

当時たくさんいた学生起業家のひとりであり、ずば抜けたカリスマ性や計画性があるとも思えない。

だから、自分が彼のような成功をしていた可能性だってあったはずだ。

そう思っていたのだ。

しかし最近、それは間違いなのではと思うようになった。

より正確に言えば、自分の嫉妬は、もっと深いところに起因するものであると思うようになったのだ。

田角陸というアントレプレナー

実際には、田角は一発で成功した、苦労知らずのアントレプレナーではない。

まず彼は、学生でありながら、仲間とともにビジネスに挑戦した。が、当然ながら、失敗する。

しかも、それは1度や2度ではない。何度も、これこそが自分のビジネス、と意気込んだものが失敗に終わる。

ここまでは、熱に浮かされた学生起業家ならば当然の体験である。

しかし、田角の特異性は、この後にある。

彼の仲間たちは、アントレプレナーとしての道から撤退することとなる。学生時代に起業し、挑戦できたことを今後のネタにし、今後の就職や人生に生かす道を選ぶのである。

年端のいかない少年少女が、リスクをとらずに、特別な「ガクチカ」を得る、というのは重要な学生起業の副産物であり、ほとんどの学生起業家は失敗したけど楽しかった、有益な体験だったと失敗を消化して次のライフステージへと進むのだ。

しかし、田角少年はその例外であった。

彼は、仲間が去っても、ビジネスが失敗続きでも、変わらず起業家としてあがいたのである。

早稲田大学のネームをもってすれば、大企業に入ることだってわけないのに、彼は起業家としての道を選んだのである。

これは、大変特異なことである。

自分が彼と同じ立場だったとして、右手には仲間がおり、約束された将来がある。左手には失敗続きの苦い経験だけで、仲間もおらず、せっかくの新卒というカードを無駄にする可能性がある。このまま失敗を続ければ、安定した生活などは手に入らない人生かもしれない。

そういった状況で、左に向かって行けただろうか?

少なくとも、一時の熱では到底なしえない選択である。

にじさんじは、9割方失敗していた

そうして次に田角が取り組んだのがVTuber事業である。

当時、キズナアイなどの成功ロールモデルがあったとはいえ、VTuber事務所という形態で成功できるのかというのは、非常にシビアだったと考えられる。

問題点を挙げればきりがない。まず、事業の収入となれば、広告収入が主体となるが、VTuberという機材やデザイン、演者への報酬をまかなえる確実性は皆無である。

YouTubeはまず収益化条件をクリアしないことにはビジネスとして成り立たないうえ、YouTubeの運営のさじ加減でBANされてしまう危険性が常に付きまとう。

また、現状では有力な活動である、「ゲーム配信」についても、当時はメーカー側は黙認という形をとっており、個人で行うならまだしも、事務所としての規模間で行うには法的な問題があった。

登録者を伸ばし、安定した広告収入を得るノウハウがない。

そんな中、それについてこれる演者がはたしているのか、という問題もあった。

実際のところ、とんとん拍子にうまくいくより、演者も事務所も疲弊し共倒れになるという可能性のほうがはるかに高かったろう。

つまり、現実として、ほかの収入がない事務所にとって、YouTubeありきの商売というのは「まったくもってわりにあわない」ビジネスなのである。

しかしながら、いくつかの転換点により、にじさんじは奇跡のような成功ロードを収めることとなる。

まず、一期生「月ノ美兎」の存在である。

彼女はまったくもって先の見えないVTuber事業において、その才能を発揮し、わずか最初のYouTube動画投稿から約1か月で10万人の登録者を達成してしまう。

現在でも、にじさんじといえば月ノ美兎という印象を植え付けるほどに、にじさんじにとっての彼女は特別であったといえる。

その要因は、簡単に言えば、すでにネットでの活動をしていた彼女の、世界観やバランス感覚によるところが多いといえるだろう。

にじさんじは彼女の成功をもって、エンタメ性を重視するユニットになったと分析する。

それが、男女はてには人間かどうかも問わないタレントの個性につながっており、それがほかのVTuber事務所との差異を生み出しているといえる。

この他もたくさんのVTuberがにじさんじの中で才能をいかんなく発揮し、唯一無二のVTuber事務所としての地位を確固たるものとしたといえる。

また、近年では、「周央サンゴ」が志摩スペイン村との公式でのコラボを果たしたのも、重要な転換点であるといえる。

VTuberはオタクの萌え文化にほかならない、というような先入観を打ち払うようなコラボであり、実ににじさんじらしいコラボの実現であり、成功例として重要な価値があったろう。

話が脱線したが、まとめるならば、VTuber事務所としての起業はかなり無謀なものであったが、それを特別なタレントが成功に導いたといえるわけである。

これに関して、田角の力というより、完全なめぐりあわせに尽きるだろう。

このようなめぐりあわせありきのビジネスに、果たして自分はすべてをなげうつことができたのだろうか。

自分は何がしたいのか、何がほしいのか

アントレプレナーの素質とは、何か。

ずば抜けた計画性での特異な才能でも尋常ならざるカリスマ性でもない。

ビジネスというのは、特に学生起業のような挑戦的なものであれば、それはまったく成功の保証のない泥沼なのである。

それに向かって、何が起ころうともポジションを取り続けること。

それが運や周りの助けなど、様々な要因によりビジネスとして形になるのである。

ならば、田角陸こそ、アントレプレナーの鑑である。

そこに、年齢だの社会経験だの学歴だの頭の良さだのは介在しない。

私は、田角に嫉妬している。

では、彼の人生をなぞりたいか?彼の富、経験、人脈、成功をかすめ取りたいのか?

自分もVTuber事務所を立ち上げ、成功したいのか?

答えは、否である。

では、本当には、私は彼の何に嫉妬しているのか。

それは、アントレプレナーとして彼がその生きざまを全うしたからであり、自分はそうではなかったし、今もなおそうではないふがいなさに起因するものである。

その結果は、あまり関係がない。

たまたま田角はわかりやすい成功を残し、それをもって語られるだけであり、問題というのは、その在り方なのである。

その在り方に引かれ、焦がれながら、反面賢い選択という正当なる隠れ蓑にすがり、自分がそうありたい「在り方」から背を背けてしまったこと。

それこそが嫉妬の源泉だったのである。

であれば、最初の疑念。

自分が彼のような成功をしていた可能性はあったのか?

これに対する答えは、その素質を自分自身が否定してしまったのだから、無理であった。

ということになる。

では、どうしたい、どうする。

じゃあ、だからといって、彼と私のなにが違うのか。

確かに、現在地点では、彼は超成功者で、わたしはパッとしないフリーター。

だからなにか問題があるのか、といえば、ない。

逆に言えば、彼はすでに積み上げてしまったものを、どうするのかで手一杯だろう。

つまり、アントレプレナー的な生き方が、許されなくなっている。

じゃあ、自分のほうが有利じゃん。

だから、面倒な「正しさ」、「賢さ」にとらわれずに、やりたいことやりたい放題じゃん。

なら、もう嫉妬する必要はない。

この記事を書くのだって、やりたいことだ。

どうせ誰にも見られないブログを書くのは、賢くないが、それをあえて書く。

これこそ、私の在り方であり、これによって過去の嫉妬と決別しよう。

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