資本主義社会にあって、金銭獲得において競争力を喪失した私。
また、対人関係に関しても日に日に増すコミュ障気質によって絶望的。
そんな私に残されたもの。それは、もう、ブログしかないのである。
ブログとは、人生の膿を濃縮してさらす行為
率直に、皆さんはどんなブログ記事が面白いと思うだろうか。
あるいは、動画でもなんでもいいのだけど、素直に人生うまくいかない嘆きとか、後悔だとか、私はそういう「人生の膿」のさらけ出しが見たくてコンテンツを漁っているといっても過言ではない。
皆さんにもあるのではないか。
仕事をすぐにやめてしまった。
とか。
ひきこもりで中年になり絶望。
とか。
借金で破産した。離婚した。裁判した。
とか。
そういった、辛い時期、状況の話を聞きたいという気持ちが。
私は、創作行為をする以上、自分が読みたいものを作りたいし、作るべきだと思う。
だから、私は自分の人生の澱をすくい上げて、誰かにアクセスしてもらえるところにまで押し上げる。
つまるところ、こういうことが今の私のやりたいことで、やるべきことなのだろう。
暗い感情は、うまくいかないやつにしか書けない
世の中には、人生こうすればうまくいくよ、とかそういうアドバイスで溢れている。
それらは、ある意味では正しいのだろう。
しかし、誰もがそのとおり人生をうまくやれるか、というと、そうではない。
世の中には、当たり前にできることができない人間も多い。
私もその一人で、友達は作れないし、新しい作業などを覚えるのが非常に遅いし、どもってしまうし、空間把握能力が絶望的で体を動かすような仕事や遊びに関していい思い出がまったくない。
その結果どこでもすぐに孤立し、人生ソロプレイハードモードになってしまう。
しかし、そのかわり、うまくいっている人にはない暗い感情と仲良しになることができた。
私のメモリには、ポジティブな言葉よりも後ろ向きの語彙がたくさん詰まっており、「人生うまくいかないコンテンツ」を作り上げるのに適した体になっているのだ。
この人生をどう昇華するのか。それは、私の全部を使って、私の人生をコンテンツとして創作していくしかない。
幸いなことに、これは私の苦手なことが介在しない。
必要なものは、最低限の言語化能力とパソコンとサーバー契約だけである。
50年くらいブログをやれば流石に勝てる
別に、具体的に誰に勝とうとか、成功したいと思っているわけではない。
が、ブログを書くという誰もができる行為で、どうすれば自己満足できるレベルに到れるのか。
私には人を唸らせるほどの文章力はないし、セールスライティングもわからない。
すばらしいノウハウも無ければ、見やすいレイアウトを考えることもできない。
人を引き付けるキャッチコピーも思いつかないし、なにかに特化して解説することもできない。
あるいは、毎日更新とか、1日中文章を書くなんてこともできない。
そんな凡人がどうすればブログをしている中でオンリーワンになれるのか。
私の出した結論は、「50年ブログをやる」ことである。
かつて、ブログは継続だ!!と声高らかに喧伝していたインフルエンサーもすっかりYouTubeに行き、さらにそれからも撤退して何してるのかわからなくなっている。
そんな副業・情報発信界隈で、ブログなんてものはレッドオーシャン超えて砂漠である。
そこにいまから腰据えてやろうとしているのは少数派だし、さらに50年やろうというのはもっといないだろう。
1週間に1記事のペースで、いや1ヶ月に1記事のペースでも構わないから、50年やってやるということ。
それが、ブログが衰退しきった2025年に決心した私の大きな挑戦である。
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